アドラー心理学『幸せになる勇気』より。私は子供を尊敬出来ているのか?

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こんにちは、マミです。

このブログでは何度かに分けて、アドラー心理学/岸見一郎先生・古賀史健さんによる『幸せになる勇気』の内容を、少しずつ自分に当てはめて理解する試みをしています。

↓前回はこちら

『幸せになる勇気』から考える、アドラー心理学を子供のしつけに活かす方法

2016.03.04
ネタバレも含みますので、これから本を読まれる方はお気を付けください。

まだ『幸せになる勇気』を読んでいない方には、こちらがオススメです。

これは読むべき!アドラー心理学『幸せになる勇気』ネタバレなしの感想まとめ

2016.02.26

前回から意識したことのまとめ

前回の学び

前回の更新から意識したのは、次の2点です。

  • 学び続ける、考え続けるという意識を大切にする
  • 行動面の目標を忘れず、『援助』の気持ちで子供たちに接する

この行動面の目標と言うのは、以下の内容でした。

行動面の目標は次のふたつ。

  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

そしてこの行動を支える心理面の目標が、次のふたつでした。

  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

引用:『幸せになる勇気』第1章より

実際に出来たのか?

私は、難しく考えれば考えるほど、身動きがとれず行動することが出来ません。

なので、前回の更新以降は、この点だけを意識していました。

  • 子供が、自分が能力があると思えるように援助しよう。
  • そして、お母さんやお父さんはあなたの仲間なんだと伝えよう。

この2点でもかなり難しいです。

子供にとって、『能力がある』と自信を持てる行動は即ち、親を困らせる行動につながる事も多くあります。

例えば、タンスの中を全部出してひっくり返してみたり。

その光景を見た時には、頭を抱えました。

子供がやりたい事を最大限援助するには、親には忍耐が必要です。

耐え過ぎて、私の方が爆発しそうになる事もありました。

死にたくない。毒親にもなりたくない。育児ノイローゼに出口はありますか?

2016.03.11

こんな気持ちでは、まだ解釈が間違っている気がします。

もう少し先に読み進めてみたいと思います。

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

尊敬の本当の意味

子供への教育やしつけ、そして援助の入り口は、尊敬にあるそうです。

つまり、子供達への尊敬の気持ちこそが、すべての始まりなのです。

ここで、尊敬についての考え方として、本の中では、社会心理学者であるエーリッヒ・フロムの言葉が引用されています。

尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。

尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。

引用:『幸せになる勇気』第1章、エーリッヒ・フロムの言葉の引用より

これって、私が今まで思っていた尊敬と少し違います。

本の中で青年も言っていますが、私の中での尊敬とは、憧れだったり、少しうらやむような気持ちがあったり、「あの人のようになりたい。」そんな気持ちが尊敬だと思っていました。

でもそうではなくて、ありのままのその人を見ること。

そして、その人がその人らしく成長できるよう、気づかうこと。

これはまだ、前回の段落で意識した内容と似ているように思います。

叱ることの結果

私が気になったのは、次の段落です。

叱る事によって子ども達を従わせようとした青年に、次のような言葉が投げかけられます。

子どもたちは「あなた」ではなく、「権力」に服従しているだけです。

「あなた」のことを理解しようとは、微塵も思っていません。

耳をふさいで目をつぶり、怒りの嵐が過ぎ去るのを待っているだけです。

引用:『幸せになる勇気』第1章より

私も、子供たちに耐えられなくなったときに、声を荒げて「いい加減にしなさい!」と怒鳴る事があります。

そんなとき、娘は目を閉じて、何も聞こえないふりをします。

おとなしくなりますが、まさに本の通り『怒りの嵐が過ぎ去るのを待っているだけ』なのです。

きっと、娘は私の言う本当の内容を理解して、言う事を聞いているわけではありません。

そして、私自身も、娘を本当の意味で尊敬して、叱れている訳ではありませんでした。

ただ自分の感情が我慢できなくなったから、声を荒げて手っ取り早く服従させようとしただけ。

けれど、尊敬は相手に強要することは出来ません。

そもそも尊敬のない対応が、相手の心に響くことはないのです。

ならば私は、どうすれば良かったんでしょう。

「他者の関心事」に関心を寄せよ

他者への関心

アドラー心理学で重要なキーワードである『共同体感覚』を、英語圏の言葉で表すと、『他者への関心』となるそうです。

今の私の子育ての問題で言えば、他者とは娘であり、息子の事です。

娘や息子の関心事に関心を寄せる。

そうすることが、子供達を尊敬することに繋がるのだそうです。

我が家の場合

そう言われてみれば、タンスをひっくり返していたとき、娘はどんな気持ちだったのでしょう。

お気に入りのワンピースがどこかにあることを知っていて、ワクワクした気持ちでそれを探していたのではないでしょうか。

もしくは、普段しまわれている引き出しの中身を出すことに楽しみを見出していたのではないでしょうか。

そんな事には気づきもせずに、私は「またイタズラして用事を増やして!」としか思えませんでした。

「そんな事より、ブロックやおもちゃで遊んでちょうだい!」

けれどそれは親の勝手な都合であって、娘が今やりたい事はブロックやおもちゃではないのです。

あなたの目から見て、どんなに低俗な遊びであろうと、まずはそれがどんなものなのか理解しようとする。

自分もやってみて、自分自身がそれを楽しむ。

そのときはじめて、子どもたちは自分たちが認められていること、子ども扱いされていないこと、ひとりの人間として「尊敬」されていることを実感するでしょう。

引用:『幸せになる勇気』第1章より

私、子供の気持ちが全然考えられていませんでした。

少々家が散らかったってかまわないのに。

子供たちと一緒になって、ちょっとした事にも夢中になって、楽しみを共有するような過ごし方をしてみたい。

そんな風に、改めて思いました。

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前回の内容に比べて、さらに反省点が見つかりました。

  • 子供達のしていることに関心を寄せる
  • 子供と同じ目線に立って、自分自身も一緒になって楽しんでみる

今度は、自分の事ばかりに目を向けてないで、子供の目線をめいっぱい楽しむことを意識して、過ごしてみようと思います。

そうして、また行き詰まったら次に読み進めたいと思います。

マミ
子供達のキラキラわくわくした気持ち、摘み取らないように、そっと大切にしなくては。

他にもアドラー心理学について書いています

アドラー心理学について、書籍や考えたことをまとめています。

良ければこちらもぜひご覧くださいね。

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2 件のコメント

  • 興味深く読ませていただきました。ご自分のお子様との関係で実践されていることに感動しました。私も幸せになる勇気を読んでいますが、眼の開かされる事ばかりです。これからの記事にも期待しています。

    • Sakaguchiさん、コメントありがとうございます。
      アドラー心理学はわかる気になったつもりで結局わからなくなってきたりと難しく、実践していく中で考えさせられたリはっとしたりといった瞬間が沢山あります。
      でも、何もわからないまま子供と向き合っていた時よりも、少しずつですが子育てが楽しくなってきたように感じています。
      また気づきがあったときには記事にさせてくださいね。更新遅いのですが、またぜひ読みに来ていただけると嬉しいです^^

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